——直木賞受賞後第一作となる『世界地図の下書き』ですが、児童養護施設を舞台に、それぞれ事情を抱える子供たちの痛みや葛藤、そして成長を描いた作品ですね。主人公である小学校三年生の太輔のほかに、同じ年の淳也、淳也の妹の麻利、太輔の一歳下の美保子、そして六歳上の佐緒里の五人が中心となる登場人物です。物語では、この五人の出会いと、太輔が小学校を卒業する三年後の出来事が描かれます。児童養護施設の子供たちを書こうと思われたのはなぜですか。

 『何者』を書いていたときから思っていたのですが、どうして今の世の中には精神的なセーフティーネットがないのかと疑問に思ったことがそもそものきっかけです。就職活動では新卒で内定が取れなかったら終わりというように、ほかのものでカバーできないような空気感があったのですが、もっと小さい子供たちがいじめや体罰で自ら命を絶ってしまうのをニュースで見て、彼らにもセーフティーネットがないんだなと感じました。では、なぜいじめや体罰がある場所から逃げ出さなかったのかと考えたとき、“逃げる”または“生きる場所を変える”という選択肢を想像すらしなかったのではないかと気づいたのです。だから、児童養護施設という、ある意味守られている場所からいつか必ず出なくてはならない子供たちを主人公にして、彼らにしっかりとした希望を背負わせてあげたいという気持ちが大きかったです。

 ——実際の施設を取材されたりもしたのですか。

 児童養護施設の職員の方にお話を伺いました。子供たちにも話を聞くべきかとも思いましたが、僕は継続的にこの問題に携っていく専門家ではないので、無責任な気がしてそれはできませんでした。

 ——タイトルが示すように、子供たちが世界とどう回路を結んでいくか、どんな未来地図の下書きを描くかという話ですが、それぞれの子が抱えているものは本当に重いですよね。

 主人公の太輔は事故で両親を同時に失い、一度は伯父夫婦に引き取られますが、虐待されて施設に来る。来た当初は周りの人と話すこともできず、心を閉ざしています。ほかの子も、親はいるけど一緒に住めなかったり、クラスでいじめられたりと、みな、何かしらの寂しさや辛さを抱えています。

  ——外から見るとあまり感情を表に出さない太輔はどこか大人びていて、施設の職員もはじめは応対に気を遣います。

 太輔を書きながら感じたことは、大切な人のために一所懸命に何かをすると人は強くなるんだなということです。そういう太輔の成長も、読んだ人に感じてもらえたらと思います。

  ——ピュアな麻利、おしゃまな美保子のほか、いじめっ子も含めて女の子が何人か出てきますが、「どうしてこんなに小学生女子の気持ちがわかるんだろう」というくらいリアルです。朝井さんはデビュー作の『桐島、部活やめるってよ』でも女子高生のリアルな描写が多くの女性読者から共感を得ています。女子を描く秘訣などあるのでしょうか。

 秘訣というものはないんです。ただ、今までは、女子の心情でも、書きながら自然に湧いてくるようなところがありましたが、今回は、自分自身の小中学校のときの女子のことを思い出して書いた部分が大きいです。前髪を気にしてずっといじっていたり、運動会でハチマキを普通に巻くのがカッコ悪いからといっていろいろ工夫したりとか、女子って、少ない条件の中でいかにおしゃれをするかということにすごく情熱をかけるじゃないですか。

  ——落ち着いたお姉さんという雰囲気の佐緒里のイメージも、記憶の中から作っていったのですか。

 これは結構、男子的には“あるある”という共感が得られると思うのですが、やはり自分が小学生ぐらいのときに、少し年上で神聖化されているような女の人がいたんです。といっても実際は十六歳か十七歳くらいの普通の女の子で、小学生男子からするとそれはもうマリア様のような人(笑)。そのイメージです。でも、太輔たちが無条件に慕っている佐緒里も、別の面から見ると彼女なりの孤独を抱え込んでいる。それに、施設を出たら慕ってくれる人もいなくなってただの人になる、ただの人間になって仕事をしていかないといけなくなるわけです。そこはきちんと、ぶれないように書こうと意識しました。

  ——主要となる五人の設定はどのように決めたのですか。

 まず主人公を置いて、周りにどういう人たちがいたら主人公の性格や人柄が際立つかということを考えて決めていくのが僕の書き方です。太輔は割と男子っぽい、小学生男子の典型だけどちょっと大人びてもいるという風にしたかったので、その隣にどういう子がいたらいいだろうと考えて、淳也のキャラクターは実際より子供っぽく見える子にしました。それから、麻利と美保子は僕の理想の小学生女子かもしれないですね。ものすごくワンパクな子と、無駄に大人びてしまった、足とか組んでしまう女の子(笑)。そういう子が今もちゃんといてほしいなという願望が入っています。

  ——物語の中では、それぞれの子が抱える深刻な背景にはあまり踏み込んでいかずに、どちらかというと彼らがはぐくむ絆や、その先の未来に焦点が当てられていますね。

 メインとなるのは、太輔たちが佐緒里の願いがかなうようにと、かつて町のお祭りで行われていた「願いとばし」という行事を復活させようとするところですが、一番のメッセージはラストに込めた「希望」なんです。

  ——力強い希望に満ちたラストは、本当に印象的です。

 佐緒里は高校を卒業して施設を出て行くし、ほかの子供たちにもそれぞれの「卒業」が訪れます。多分、状況的には決して単純なハッピーエンドではないのですが、それは、無責任に「逃げたら解決だよ」という風には書きたくなかったからというのもあります。逃れた先にもいじめっ子はこれまでと同じ確率で存在する。一方で、理解して守ってくれる人が現れる確率も同じだけある。つまり、逃げたその先にも、これまでと同じ絶望はあるかもしれない。だけど同じだけ希望もあるということを一番の説得力で伝えたかったんです。

  ——ランタンを飛ばして願いごとをする「願いとばし」は、朝井さんの郷里の行事ですか。

 実在のお祭りですが僕の地元のものではないです。日本でもいくつかありますが、一番有名なのは台湾のものですね。僕はテレビで見て、「何このお祭り、素敵!」と思って採用しました(笑)。そもそも、祭りというものに対する思いがものすごく強くて、地元の同級生が祭りの実行委員になって、町の伝統を引き継いでいる姿などを見るとすごく羨ましくなったりします。

  ——本のカバーにも願いとばしのシーンが描かれていますね。今回、スタジオジブリで原画を描かれている近藤勝也さんに装画を依頼したのは朝井さんご自身の希望だそうですね。

 最初は夢物語で、まさか実現するとは思わなかったのですが、引き受けていただいて本当に嬉しかったです。ジブリ作品は、人が生きていくことを肯定するという思いが根底にあるので昔から大好きです。この物語も人生を肯定するということが主題なので、実現したらいいなと思っていました。

  ——ぜひ、太輔たちの同世代に読んでもらいたいですね。

 それだけではなくて、親世代の方々にも、どの年代の人にも読んでもらえたらいいなと思います。精神的なセーフティーネットがないという状況は、決して子供たちだけに当てはまるものではないような気がしているので。