二〇一〇年の暮れ、チュニジアで、一人の貧しい野菜売りの青年が警官に暴行され、抗議の焼身自殺をした。この事件に衝撃を受けた青年たちが路上に繰り出し、翌月、ベン・アリー独裁政権は崩壊。いわゆる、この「ジャスミン革命」をきっかけに、「アラブの春」のうねりが中東世界を席捲していく。
三〇年間、エジプトを中心に現地取材を続けてきた筆者は、一一年の初頭、ムバラク政権が倒れた現場にも居合わせ、図らずも歴史の証人となった。本稿は、誰も詳細を報じなくなってきた(あるいは、報じられなくなってきた?)「アラブの春」のその後を、独自の観点でルポルタージュしたものである。
第一章の舞台は、一四年一月のエジプト・タハリール広場。現地の声を丹念に拾い、「革命」後の三年間の変化を浮き彫りにする。
第二章では、「ジャスミン革命」以後の中東と、日本における脱原発抗議活動の決定的な違いに思いを馳せる。
第三章は、一一年の年末から翌年の一月にかけての、内戦初期のシリア潜入記。パレスチナ人の友人・マルワーンに、トルコ人の友人・イソットの死を知らせる感傷旅行が主たる目的だったが、これが、ジャーナリストがシリアを「まともに」取材できる最後のチャンスでもあった。
第四章の主題は「反革命」。民主化を求めた「アラブの春」は、イスラーム国家の構築を究極の目的とする「イスラームの春」(同胞団の春)へと転じてしまった。このことは、それまで「革命」の熱狂で隠されていた「民主主義とイスラーム」というこの地域の大命題が、現実政治の俎上に上ってきたことを意味していた。
終章では、「アラブの春」がもたらしたものが何であったのか、筆者の恩師・ラグダ・エサーウィをはじめとする現地の人々の証言に寄り添いながら、この三年間の意味を考察する。
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