日の本の人々に長年愛され続ける猫。中には二十年以上生き、猫又になる者もいる。猫又は何度も存亡の機を迎えており、そのことを「猫又危機」と呼ぶ。
二度と繰り返さないため、猫又たちは歴史を学ぶのだ。
弥生時代(3世紀中頃まで)
猫、日の本で暮らしていた。
猫又に伝わる〝猫又伝〟には、既に猫又も日の本にありと、記してある。
猫君の噂あり。
600年頃〜
猫、「禰古萬」と呼ばれていた。後、「寝駒」とも呼ばれる。
猫又のための小さな学び舎、各地に出来る。
661年
第一次猫又危機(危機の別名 唐猫)
法相宗の高僧道昭、唐より帰国。
そのとき唐猫を日の本へ連れてくる。
1233年
藤原定家、奈良に猫又現ると書き記す。
1300年代
『四季物語』中にて、猫又の尾、二叉だと記される。
15世紀初頭
第二次猫又危機(危機の別名 猫又戦国)
猫又の国盗り合戦。五陣が出来、陣地が決まる。
猫又戦国期、猫君現るとの話、あり。名、毛色、伝わらず。
15世紀末〜
16世紀末
第三次猫又危機(危機の別名
人の戦国)
猫又、人の姿に化け、戦国の国盗りに参加。
高名な武将になった猫又として、
織田信長、明智光秀などの名があがる。
この時期、猫又界は人数が大きく減り、衰退。
17世紀初頭
徳川家康が築いていった江戸の地に、猫又達、暮らし始める。
この頃、徳川家康は、猫を繫ぐべからずとの、お触れを出す。
1602年
第四次猫又危機(危機の別名
姫陣誕生)
おなご猫又による、新たな陣地の奪取。
おなごの陣は、姫陣、花陣の二つとなる。
陣の数、六つとなり、陣地の大きさが変わる。
この時、姫陣の頭・由利姫は、徳川家康の力を借り陣地を奪った。
以後、猫又と人との、交流始まる。
1603年
信長、江戸城内に、新米猫又達の為の学び舎、「猫宿」を作る。
以後、信長は、猫宿の長の名で呼ばれる。
1682年〜
第五次猫又危機(危機の別名
生類あわれみの令)
五代将軍徳川綱吉、生類、特に犬を大事にする令を出す。
江戸の町では、我が物顔になった犬の為、猫が危機に陥る。
猫又達、「生類あわれみの令」廃止を約束した者を、
次の将軍に推し、悪法を止める。
猫又の各里、新米猫又達に、姉者、兄者を付ける制度、始める。
18世紀〜
第六次猫又危機(危機の別名
学び舎独立)
六陣が対立。戦う寸前となる。猫君、現るの噂あり。
猫宿には元々、六陣が関わっていた。だが争いが続く中、
猫宿の長率いる師匠達が、六陣を制し、その影響下から独立。
猫宿は中立地帯となる。
19世紀中頃
猫又、歌川国芳(浮世絵師)と親しくなる。
己の絵を描いて貰った猫又、多し。
239年
邪馬台国の女王、
卑弥呼の使者が魏に到着する。
538年
仏教公伝
645年
大化の改新始まる。
710年
平城京に遷都する。
794年
平安京に遷都する。
1167年
平清盛が太政大臣となる。
1192年
源頼朝が征夷大将軍となる。
1333年
鎌倉幕府滅亡
1338年
足利尊氏が征夷大将軍となる。
1560年
桶狭間の戦いで織田信長が勝利。
1582年
本能寺の変
織田信長が京都の本能寺で
家臣の明智光秀に襲われる。本能寺焼失。
1585年
羽柴秀吉が関白の座に就く。
後に豊臣姓を賜る。
1598年
豊臣秀吉逝去
1600年
関ヶ原の戦い勃発。
1603年
徳川家康が征夷大将軍となる。
1702年
赤穂浪士の討ち入りが行われる。
1716年
享保の改革始まる。
1773年
のちの徳川家斉、誕生。
1787年
家斉、15歳で第11代将軍に就任。
寛政の改革始まる。