"マキメワールド"と称される、摩訶不思議な作品でベストセラーを連発している万城目学さん。最新作『偉大なる、しゅららぼん』は琵琶湖を舞台にした青春スーパーエンターテインメント。過去最高のボリュームとなった本作の誕生秘話から、キャラクターにまつわるエピソードなどうかがいました。
  ――二〇〇六年の万城目さんのデビュー作『鴨川ホルモー』は、奇想天外なストーリーと、その知的で愉快な語り口で、一発で読者の心をつかんでしまいました。その後も次々と読者を魅了する作品を発表していますが、今回の新作『偉大なる、しゅららぼん』は、謎あり、歴史あり、笑いあり、活劇あり、ほろ苦い青春ありと、全方位でマキメワールドを堪能できる作品だと感じました。この作品を書くにあたって、「もう一度デビュー時に立ち返りたい」という思いがあったそうですが、この作品にかける特別な思いをまず聞かせていただけますか。

 最近は『プリンセス・トヨトミ』を書き、『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』も書いたんですが、自分では行儀のいいものを書き過ぎているんじゃないかという思いがありまして。文章が行儀よくなるというのは、上手くなっているということではあるんですが、上手くなって行儀がよくなると、どうしても荒い演技、乱暴な側面がどんどん消えていってしまう。それが何となくよくないなと思い始めていたんです。
 ちょうどデビューから五年、今までは上手くなりたいと思って書いてきたけれど、そろそろ失くしてしまったものを振り返る時期が来ているんじゃないかと。今まではきっちり緻密に物語を作ってきたんですが、今回は文章にしても構成にしてもちょっと荒っぽく、そんなにきちきち決めずにやってみようと思った。下手くそだった頃の自分ができたことをやってみたい。漠然としているんですが、そういう思いが強かったですね。

  ――文章が上手くなったり、小説の構築の仕方が洗練されてくると、何が失われるんでしょう。

 サッカー選手も、何も考えていない若い頃は臆せずゴール前に飛び込んでいけたけれど、年をとると前後のバランスとかを考えて攻撃的になれなくなるとよく言いますね。案外それに似ているところがあって、やはり年を食うと意識的に初心の頃の自分を取り込んでいかないと、どんどん動かなくなってしまうんじゃないかと思います。

  ――サッカーといえば、万城目さんはアーセナルのベンゲル監督が好きで、彼が編み出した短く速いパスの練習「ラダー・トレーニング」を文章の鍛錬にも活用しているとか。今回の『偉大なる…』も、短くリズム感のある文章と、大団円に向かって進んでいくエネルギッシュな展開で、六百ページ近い長編を、もう一気に読んでしまいました。

 多分、この作品も出来上がりはきれいに仕上がっているように見えると思うんです。でも、今までは緻密にラストまで細かく考えて書いたんですが、今回はなるべく考えないようにした。本当に、毎度毎度、綱渡りなんです。というか綱も見えない。もうこれ以上辻褄を合わせられないとか、もうこの風呂敷をたためそうにないという、常にあっぷあっぷな状態で。自分の中では『鴨川ホルモー』を書いていたときとかなり似た状況でした。

  ――琵琶湖のほとりに代々住み着いている特別な力を持つ湖の民、日出(ひので)家と棗(なつめ)家という異なる力を持つ二つの勢力が対立し、いがみ合っているという物語の設定。主人公の日出涼介(りょうすけ)が「力」を発揮するとき、「しゅららぼん」という奇妙な音がするというのも、「ホルモー」というかけ声を髣髴(ほうふつ)させる愉快な仕掛けですね。この物語のアイデアはいつ頃から温めていたんですか。

 じつは、『鴨川ホルモー』を出した二〇〇六年ぐらいから、もうこのアイデアはあったんです。何か力を発揮する二つの勢力があって、互いにいがみ合う。そしてそのどちらかが力を発揮するときはこういう「しゅららぼん」というやかましい音がするという、それだけなんですけど。この連載が始まる前に、昔のアイデアからがーっと引っ張り出してきて、それを無理くり肉付けしていって。ほんとに無理くりだから、書いてるときは笑顔になれない。常に気が晴れない。ぶすーっとしながら、ずっと不機嫌そうな顔で書いていました(笑)。

  ――物語を読むと、楽しんで書いているとしか思えません。どんなに切羽詰った場面を書いていても、読者を煙に巻くような思わず笑ってしまう台詞やシーンが必ず挿入されている。これがまた万城目作品の魅力なのですが、関西生まれのサガなのでしょうか。

 まじめ一辺倒だと不安になりますね。書いてて、何か落ち着かないというか。まさに落ちを入れて落ち着くという感じ。たとえば、さっきのラダー・トレーニングで、短いセンテンスで書いていくと、段落段落の区切りで落ちを入れることで、緩急のリズムが取れるということだと思うんです。でもね、本音を言えば、僕は面白いことを書いたという覚えはまったくないんですよ。

  ――えっ、あれだけ読者を笑わせて?

 はい。だから結構天然やと思います。『鴨川ホルモー』のときも、ほんままじめに書いて、裸踊りのところが多少面白いかな程度で、編集者に見せたら、何遍も笑ったと言われて、最初は馬鹿にしてるのかと思いました。そのくらい笑える小説を書いたという自覚がなかった。何が、どこで笑うのかと、本気で思ってたので。実際、僕の小説を面白いと言って読んでくれる読者がこんなにいるとは思いもしなかったですね。

  ――『偉大なる…』の主人公・涼介もそうですが、万城目作品に登場する主人公は、イケメンでもかっこよくもなく、どちらかというと、不器用で要領が悪く、ごく普通の悩み多き男の子です。

 まず大きなストーリーを作って、それを展開させる役割として主人公の性格付けをするんです。物語の展開として、どうしても未知の世界に飛び込んでいくことになるので、読者と同じような感じで、「何だこれ、何だこれ、いったいどうなってんだ」と素直に思える人物のほうが話を作りやすいんですね。突然理解不能なことが起きると、必要以上に驚き、ぶつくさ文句言いながらも関わってしまう。そういう巻き込まれやすい性格のほうが、非日常的な話を書きやすい。その分周りにちょっと強めの人物を配置して、主人公には情けない部分を担当させる。自分の意思で状況をバリバリと打開していくような主人公は、僕の作品にはあまりそぐわないですね。   ――今回の作品は、その息もつかせぬクライマックスも見所ですが、最初は心を閉じていた日出家の長男・淡十郎(たんじゅうろう)が涼介に心を許す過程や、敵同士だった淡十郎と棗広海(ひろみ)の関係の変化が細やかに描き込まれていることも、この小説の読後感を優しくさわやかにしていますね。

 最初はもう口も利かへんかった二人の関係をどう展開させるかということは、最初から大きなテーマとしてありました。物語自体は非日常的なところに突っ込んで行きますが、登場人物のみんながじつは父親との確執に悩んでいたり、やりたいことができないで悶々とした部分を抱えている。現実の世界でも、自分の強い意思で何かをやっている人なんてなかなか、いないですよね。主人公を含めてそういう人々が修羅場をくぐってほんの少しだけ大人になる。僕の小説はそういう感じが多いですね。

  ――万城目作品には、超常現象や、異形のものがたびたび登場しますが、おどろおどろしさは一切ないですね。むしろポジティブに受け入れている気がします。

 そのとおりだと思います。僕の自然観、宗教観とかはまったく関係なしに、物語をうそくさくさせない唯一のやり方が、そういう非日常的なものを何の解釈もせずにそのままポジティブに放り出すということだと思う。それ以外に成功する着地点はないと思いますね。そこで変な解釈を加えたり、説教くさく地球だとかエコだとか入れたりすると、もう一気にがっかりした感じになってしまう。だから、風呂敷をさんざんひろげて、その一部はひろげたまま水に流しちゃう。まあ、じつは好きなんですけどね。ちょっとずれた非日常の変てこなもの(笑)。でも、小説を無事着地させるには、手を添えるだけであえて理由付けをしない。今回は本当に苦しかったんですが、うまいこと着地できてほんまによかったと思っています。