「インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日」中村安希 受賞作

【梗概】

 チベットの奥地にツアンポー峡谷とよばれる世界最大の峡谷がある。この峡谷は一八世紀から「謎の川」と呼ばれ、長い間、探検家や登山家の挑戦の対象となってきた。チベットの母なる川であるツアンポー川は、ヒマラヤ山脈の峡谷地帯で姿を消した後いったいどこに流れるのか、昔はそれが分からなかった。その謎が解かれた後もツアンポー峡谷の奥地には巨大な滝があると噂され、その伝説に魅せられた多くの探検家が、この場所に足を運んだ。
 早稲田大学探検部に所属していた私は大学四年生の時、たまたま手に取った一冊の本がきっかけでこの峡谷の存在を知った。そして一九二四年に英国のフランク・キングドン=ウオードによる探検以降、ツアンポー峡谷に残された地理的空白部の踏査が一向に進んでいないことを知った。キングドン=ウオードの探検はほとんど完璧に近く、彼の探検によりこの峡谷部に残された空白部はもはや五マイル、約八キロしかないといわれていた。しかし残されたこの五マイルに、ひょっとしたら幻とされた大滝が実在するかもしれない。キングドン=ウオードの残したこの「空白の五マイル」は、探検が探検であった時代の舞台が現代まで残されている、おそらく世界で最後の場所だった。私は空白の五マイルを含めたツアンポー峡谷の核心部をすべて探検しようと心に決め、一九九八年に部の仲間と一緒にツアンポー峡谷に向かった。
 空白の五マイルを目指した探検家は私だけではなかった。とりわけ米国の探検家たちは一九九〇年代以降、精力的にツアンポー峡谷に足を運び成果をあげてきた。一九九八年には探検家イアン・ベイカーの隊が、ある大きな発見も成し遂げていた。米国の探検家に後れをとった私は二〇〇二年冬、もう一度ツアンポー峡谷を目指すことに決めた。米国の探検家も行けなかった空白部の最も奥地に入りこもうと思ったのだ。しかも今度は無許可、おまけに単独だった。この旅で私は何度か危うく死にそうな目にあったが、それでも執拗に峡谷の奥地に何度も足をのばし、伝説的未探検地とよばれた空白の五マイルのほとんどを踏査することに成功した。
 それから七年が経った二〇〇九年冬、私は再びツアンポー峡谷を目指すことにした。まだやり残したことがある、そう思い、私は前年に新聞社を辞め、自らの人生を賭けた探検に出発した。しかし現地に入ると七年前には考えられなかったことが次々とおこり、旅はいささかスリリングなものとなった。


インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸 684日 中村安希
 

【著者プロフィール】

・本 名
・年 齢

・略 歴

角幡 唯介(かくはた ゆうすけ)
34歳

76年北海道出身。早稲田大学政治経済学部卒業、同大探検部OB。02〜03年、長らく謎の川とされてきたチベット、ヤル・ツアンポー川大峡谷の未踏査部を単独で探検し、ほぼ全容を解明。03年朝日新聞社入社、08年同退社。