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——さて、このタイトルにこめたものとは。
ゲラ直しをしていて、六章続けて読んでいる時にふっと浮かんだ言葉です。光によってつながっている花があるとすれば、それは人間ではないかと思って。光は眩しいというイメージだけど、影も光があるからこそできる。要するに光って一番暗いものから一番明るいものまで、いろんなものを含んでいるんですよね。そういう意味の光によってつながっている花が、人間だと思うんです。 ——ただ脇役が関連を持っているだけじゃなくて、ある人物が、まったく無関係だった登場人物を救っていたりする。そこに不思議な人と人のつながりを感じますよね。
しかも、自分のひと言が相手をどれだけ救ったかということを、本人が気づいていないんですよね。でも大体、人ってそういうものじゃないですか。 ——そうですね。そして、救いは道尾さんの大きなテーマでもある。主人公をどん底に突き落として終わる小説も世の中にはありますが ……。
ありますね。でも僕にとってはそうした小説は面白くない。あ、でもジャック・ケッチャムの『隣の家の少女』とかは大好きなんですけれど。何の救いもないのに。 ……何だろう、わざとらしい小説が嫌いなんでしょうかね。 ——じゃあ、わざとらしい救いも ……。
大嫌いです。救いを書きたいという気持ちはあるけれど、最初からこう救おう、なんて考えていないですよ。今こうして「こういうことが書きたかった」なんて話をしているけれど、実は全部後付けなんですね。そんなことを書く前に考えて決定させて、設計図を作って、あとは組み立てるだけなんて、それほどつまらない作業はないですから。 ——この作品は長いスパンで連載されていたので、ちょうど道尾さんがミステリーでない小説を書き始めた時期も重なっているのでは。その変化は反映されていると思いますか。
六章ともミステリーと呼べないこともないでしょうけれど、一章と二章にはいわゆるトリックと呼ばれるものが入っていますね。ただ、その後自分の書いたものに関してミステリーとかトリックとかいう側面ばかり取り沙汰されるのが嫌になっていった時期と執筆時期が重なっているので、それも内容に影響を与えているかもしれません。心情的にも、環境的にも、その時にしか書けなかったものがこの全六章にはつまっている。たとえば『球体の蛇』などは僕の大好きなテイストなので、別に五年後に書いてもおかしくない。でもこれは、本当に今しか出せない本ですね。 ——道尾さんはよくミステリーの仕掛けで読者を驚かせることを「至近距離に近づいて抜刀する」と【譬/たと】えていますが、では今回、刀はどのような状態だったのでしょうか。
うーん。まるきり抜き身を下げているイメージもないし、ぎりぎりで踏み込んで抜刀したイメージもないですね。武器自体を変えたような ……いや、丸腰というのが一番近いかな。何か武器を隠し持っているんじゃないかと疑われても、本当に何も持っていなければ、読者のすぐそばまで近づけるでしょう。今回はこれまでミステリーでやろうとしていた、感情を一番効果的なタイミングで読者にぶつける、ということとはまた違うスタイルで人間を書いたつもりなんですが、それは丸腰だったからできたことだったのかもしれません。撮影=小池 守
「青春と読書」4月号より転載 |
| 「世の中にはいろんな人たちがいて絡みあっている」 | ||
| 「最初から郡像劇の長篇を書くと決まっていたら、この一冊は絶対できなかった。」 | ||
| 「心情的にも、環境的にも、その時にしか書けなかったものがこの全六章」 | ||
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