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時は幕末、江戸の町。霊にとり憑(つ)かれた姉を救うため、八十八(やそはち)は評判の憑きもの落としに会いに神社へ赴く。そこで出会ったのは、真っ白な着物を着流し、金剛杖を持ち、黒く眼が描かれた赤布で両眼を覆った、異様な風貌の男だった──。 神永学さんの最新刊『浮雲心霊奇譚 赤眼の理』は、絵師を志す呉服屋の息子・八十八と、幽霊が見えるという異能の力を持つ正体不明の男(通称・浮雲(うきくも))の周囲に巻き起こる物語を描いた、心霊ミステリーの新シリーズ第一作。大人気シリーズ『心霊探偵八雲』にもリンクするという本作の刊行にあたり、神永さんにお話をうかがいました。 聞き手・構成=山本圭子

異能者・浮雲が
変わっていく姿を描きたい
──本作は、神永さんがデビュー以来書き続けていらっしゃる心霊ミステリーシリーズにつながる時代小説です。赤い瞳を持ち、幽霊が見える主人公・浮雲は、「心霊探偵八雲」シリーズの主人公の祖先ではと思わせますが、いつ頃から構想をお持ちだったのでしょうか。

構想自体はかなり前からあったのですが、「ミステリーを時代もので」と考えたとき、ハードルが高いと思いました。僕が書くからには、いかにも時代小説っぽいものではなく、現代ものが好きな方も時代ものが好きな方も楽しめる、エンターテインメント小説にしたかった。時代ものを読んだことがない方たちが手に取って下さったらうれしいし、逆に時代小説ファンが本作をきっかけに現代ものの『八雲』に興味を持って下さったらうれしいな、と。つまり、時代ものと現代ものの橋渡しをしたいと考えていたんです。そのためには時代設定を○年ときっちり決めたり、当時の政治について説明したりするのではなく、庶民に目線を持ってこなければダメだ、と。とはいえ、ある程度時代を限定しないと、江戸は長すぎる(笑)。そのために、幕末を意味する言葉を選んでさらっと流すような表現にしようと、いろいろ考えました。でもそこが決まった瞬間、ハードルが下がった気がしましたね。

──第一話は、「腕の確かな憑きもの落としがいる」と聞いた呉服屋の息子・八十八が、古びた神社を訪れ、その男・浮雲に「姉を助けてほしい」と依頼するところから始まります。「真っ白な着物を着流している。(中略)髷も結わないぼさぼさ頭で、肌は着物に負けないくらい白い。線が細く、円山応挙の幽霊画から飛び出してきたような風貌だ。そして、何より際立っていたのは、両眼を覆うように巻いた赤い布だった。(中略)さらに奇怪だったのは、その赤い布の上に、黒い墨で眼を描いていたことだ」。この浮雲の外見は、どのようなお考えで作られていったのでしょうか。

ここは「最初にインパクトを出そう」と考えて、連載前に改稿した部分です。読者に「この人何者なんだろう?」と思わせて心をつかまないと、物語が先に進まないので。着物の色については、一般的にイメージしやすいという理由で、白にしました。浮雲の眼を赤い布で隠すのは早い段階で決めましたが、そこに眼を描いたのは原稿を書く上でのテクニックと関係があります。つまり、浮雲が眼に布を巻いただけだったら、彼と向き合った人は「どうせ見られていないだろう」と思い込んで、反応が薄くなる。布に眼が書いてあると、相手は浮雲の異様さに気圧(けお)されるから、心理描写を出しやすいんです。浮雲の異様さは彼の過去ともリンクしてくるので、そのあたりについては今後徐々に触れていきたいですね。

──浮雲は幽霊が見えるけれど、万能ではない。そこにはどのような意図が込められているのでしょうか。

当時は今より人とモノノケの境界線があいまいだった。「幽霊が見える」という浮雲の設定を生かしやすい時代と言えます。だからといって何もかもを幽霊のせいにするのではなく、幽霊が関わる問題に焦点を当てることで見えてくる真実があると、読者には訴えたいですね。

──浮雲は異能者であるがゆえに複雑な性格になっていますが、神永さんはそれを宿命とお考えなのでしょうか。

異能があるということはイコール人と違うということ。でもその人の能力には違いないし、裏を返せばその人らしさだったりします。だから僕は、八十八やお小夜(さよ)のような「異能者を受け入れる人」を配することで、浮雲が居場所を得て人の役に立ち、前を向く姿をしっかり描いていきたいんです。考えてみれば小説家も、書いた作品が人の役に立つ──つまり読者がいるから重宝されるけれど、そうじゃなかったらただ単に「妄想の激しい、異能の人」ですよ(笑)。

素直な八十八と、
強くて魅力的な女性たち
──第一話の出来事がきっかけになって、八十八は絵師を志すようになり、浮雲への信頼を強めていきます。そしてふたりは難事件を解決する名コンビになっていきますが、八十八にはどのようなイメージを持っていらっしゃるのでしょうか。

八十八は自然に出てきましたね。浮雲と対をなす、読者目線の人物です。彼はとても素直ですが、面倒くさい素直さじゃないところがいい(笑)。第一話で八十八の闇の部分を書きましたが、それは浮雲によって洗われたんです。時には浮雲に共感できないことがあっても、理解しようとする八十八ですが、このふたりは恋愛関係に変化しがちな男女のコンビとは違う結びつき方ですね。また浮雲からしてみれば、特別な力を持つがゆえに虐げられてきたのに、八十八や姉のお小夜は平気な顔で受け入れる。浮雲がいる神社は今や駆け込み寺と化して、ちょっと調子が狂っている感じです。ただその戸惑いは、やがて彼の自信につながっていくのではないでしょうか。

──八十八が想いを寄せる武家の娘・伊織(いおり)、折に触れ浮雲の手助けをする謎の美女・玉藻(たまも)と、女性たちも個性豊かです。女性を描く上で大事にされたことはありますか。

僕の他の小説と比べると、本作ではなぜか女性が強いですね(笑)。多分それは、江戸の女性にしたたかさみたいなものを感じているからだと思います。書物を読んでいると、もしかしたら今より自立していたんじゃないかと。例えば、当時の女性は多少の浮気だったら男性から許されたらしいとか、混浴を特に拒まなかったらしいとか。庶民に限ったことかもしれませんが、今と文化の違いが感じられて面白いですよね。もちろん江戸の女性には強さだけじゃなくて、艶(つや)っぽさも感じます。そして艶っぽさは女性だけでなく、江戸の空気全体に漂っていたような気がします。僕自身、書いていて不思議と艶っぽい気持ちになるんですよ(笑)。自分の意識がそっちに引っ張られるというか。

江戸の空気感を出すために
大切にしたこと
──「自分の意識がそっちに引っ張られる」という経験は、今までにないことだったのでしょうか。

そうですね。艶っぽい気持ちになったのは、僕が想像する江戸の空気感が遊郭などと地続きだからかもしれません。また時代ものには、なぜか酒が似合う。酔っぱらって、道ばたでふらふらしている人を書いても粋な感じになるところは、現代ものとの大きな違いだと思います。そんなふうに時代ものは、書いているうちに自然と生活が生き生きした感じになるし、大胆に物語を展開したい気持ちになる。もちろん実際には貧しくて暮らしは大変だったでしょうが、時代にエネルギーがあったというか、「生」が根強く残っていた気がします。本作が科学捜査があったら成り立たない、情念に寄ったミステリーになっているのは、人の業(ごう)みたいなものを描きやすい時代だからかもしれませんね。ただ注意しているのは、現代ものの心霊シリーズとまったく別物にならないように、ということ。つながりを感じさせつつ、当時の風習や文化を出していければ、と思っています。

──本作では、絵が重要な意味を持っています。八十八が絵師を志しているだけでなく、どの事件でも絵が事件の鍵を握っている。そこにはどのようなお考えがあるのでしょうか。

絵を出そうということは、最初から決めていました。江戸の空気感を表すのに、すごく重要だと思ったんです。実際に絵を見たり、幽霊画集を購入したりしましたが、昔の絵には意外とおどろおどろしいものが多いことにびっくりした。春画もそうですが、発想の面白さにも驚かされましたね。絵を描くとは、単にきれいさ、美しさを切り取るのではないという考え方が本当にすごいと思います。本作を書き始めるまでは、江戸の空気感をいかに出すかが悩みどころでしたが、艶っぽさやエネルギー、そして絵という文化を取り入れていくことでうまく表現できるのではと、今は感じています。もうひとつ、物語に少しずつ入れようと考えているのが「食」。本作ではまだ蕎麦しか出てきていませんが、当時を感じさせる食べ物を通して雰囲気を作っていきたいですね。

現代ものにもつながる伏線や
仕掛けがあちこちに
──第一話、第二話、第三話と進むうちに、物語の骨格が出来上がっていく感じがしましたが、そこは意識された点でしょうか。

そうですね。第一話で八十八は浮雲と知り合い、絵師を志すようになった。第二話で、八十八は偶然出会った伊織に恋心を抱き始め、彼女はその後の事件にもかかわることになる。そして第三話では、浮雲とも八十八とも対極にいる重要な人物が登場します。その人物が彼らとどうかかわってくるかが、今後大事になるでしょうね。また、八十八がこれからどんな絵を描いていくのか、彼やお小夜の想いが果たしてかなうのか、そういったところもぜひ期待していただきたいと思っています。

──とても気になるのが、影のように動いて浮雲を助ける薬の行商人・土方歳三。のちに新選組の副長になる人物だと思いますが、彼は物語を幕末の動乱へ引っ張っていく人物なのでしょうか。

当時土方は本作の舞台のあたりをうろついていた、という事実の裏付けはとれています。実は土方以外にも、いろいろな人物に仕掛けがしてあったり、伏線が張ってあったり。しかもそれらが、現代ものの心霊シリーズともつながっていたり(笑)。今はそういう駒がそろいつつある段階で、「さあどこまでやろうかな」という感じですね。ただ物語がどの時期まで突入するか、どれくらい伏線を回収するか、どこまで人物を絡み合わせるかということについては、はっきり決めていないんです。意外と書きながらストーリーが浮かんできたり、キャラクターの性格がわかってきたりするので、あまり考えないで流れにまかせていたほうがいいのかな、と。とりあえず今は「こういう話を書きたい」という構想がいっぱい散在している段階なので、自分でも楽しみながら、それらをふくらませていこうと考えています。

剣術を習ってイメージした
当時の江戸の風景
──本作の執筆前から、剣術の道場に通っていらっしゃるそうですが、小説への影響を感じていらっしゃいますか。

僕が通ったのは、新選組の近藤勇や土方歳三が門人だった、天然理心流の道場です。そこで木刀を振る中で、師範に言われたことのひとつが「すり足ではなく、歩み足だ」。確かに江戸時代の人物が剣でやり合うとき、体育館みたいな場所であるはずがない(笑)。わらじを履いて、石が転がった舗装されていない道を歩いていた人たちが戦うのですから。そういう具体的なところからイメージを膨らませていったので、本作では剣で戦う場面を殺陣(たて)っぽくしていません。あくまでも「本当に斬り合うとどうなるのか」を意識して書きました。正直言って、稽古をしながら頭の中にはいつも浮雲のことがありましたね(笑)。「この技は使える」「斬り合いにはこういうストーリーがあるのか」みたいに。もちろんそれは、本気で学んだからこそ見えてきたことですが。

──道場仲間の方々から刺激を受けたことはありましたか。

剣術は若い人たちにも人気なんです。彼らはだいたい時代小説好きで、話を訊いてみると「あの小説に出てくる土方歳三がかわいい」などと熱く語る。つまり、キャラクターに惹かれて時代小説を読んでいるんです。「それなら書けるかも」と思いましたね。そのほかにも、江戸東京博物館に行ったり、古地図と今の地図を突き合わせながら牛込や四谷界隈を歩き回ったり。「この距離を歩くのは大変だな」などと実感しました。もちろん書物もたくさん読みましたが、僕は知識を詰め込んでもうまくいかないタイプ。自分の中に湧き出るものがないと書けないので、そうなるようにいろんなことをやってみたし、取材も重ねました。遠回りだったかもしれませんが、だからこそ書けたのだと思っています。

──神永さんの幅がまたひとつ広がった小説と言えるのではないでしょうか。

そうですね。実は最近、いろいろなことに挑戦しているんです。格闘技だとフィリピン武術のカリや総合格闘技、それから書道。世界基準のテーブルマナー講座にも通いました。というのも「よく知らないことや苦手なことは書かない」と気づいたから。自分の頭では思い浮かばないような世界の価値観を知ったり、普段の生活では出会えない人たちの感性に触れたりするのは、本当に面白いですよ。そしてそういう経験が「もっと先を読みたい!」と思っていただけるようなエンターテインメント小説を書き続ける力になると信じています。

 

神永 学(かみなが・まなぶ)
作家。1974年山梨県生まれ。日本映画学校卒。2003年『赤い隻眼』を自費出版。同作を大幅改稿した『心霊探偵八雲 赤い瞳は知っている』で2004年プロデビュー。代表作「心霊探偵八雲」を始め、「天命探偵」「怪盗探偵山猫」「確率捜査官 御子柴岳人」「浮雲心霊奇譚」「殺生伝」「革命のリベリオン」などシリーズ作品を多数展開。他に『イノセントブルー 記憶の旅人』『コンダクター』がある。

小説家 神永 学オフィシャルサイト