誌上採録!梁山泊の会 2012年7月7日 砂防会館にて

北方 皆さん、こんにちは。雨の予報の中、お越しいただきありがとうございます。
 大水滸伝は、ついに『岳飛伝』という形に行きつきました。小説家というのは、最後には人生を書きたいんです。大規模な戦だけを描くのではなく、一人一人がどのように生きたのかを描いていく。それが出来れば、大水滸伝は最終的にきちんとした形で出来あがるのではないかと考えています。そしてここまで本を出せたというのは作家の力だけではない。読者である皆さんの力がなければ出来なかった。とても幸せなことだと思います。
 本日は『岳飛伝』が始まってから初の会です。一巻目までしか語ってはいけないことになっていますので、答えられる範囲で答えます。人物を死なせないでくれという要望も、聞くだけは聞きます。でも、たぶん変えません。過去には、この場で投票をして、死んだと思われていた呉用が生きていることになった。彼は、今もしぶとく生きています。死ぬのがもう怖くないと思うから、どんどん活躍してしまう。そういうのは呉用でもう充分でしょう。
 では、質問を受け付けます。皆さんと対話をする時間になればいいと思っています。

日宋貿易
Q 『岳飛伝』の時代、日本では白河院政および鳥羽院政のころで、平清盛の父・忠盛が活躍していたと思います。当時の日宋貿易はどのようなものだったのでしょうか?

A 平安時代、日宋貿易は博多の鴻臚館という施設で、藤原北家を中心に行なわれていました。それが記録に多く残っている日宋貿易なんです。その後の平清盛の時代では、鴻臚館貿易は力をなくしていた。その父の忠盛のころは、貿易というよりまだ海賊行為が多かった。
 当時、蝦夷と呼ばれた地域は独立国家という扱いで、そこに奥州藤原氏や安東氏がいました。そして、その地で採れたものが貴重な黄金なんです。そうして梁山泊との貿易が結びついていく。黄金がどこで役に立つのかというと、西域との交易です。中国そのものは銀本位主義だったけれど、西域にいくと金が一番なんです。だからこそ日本から黄金を手に入れる。ちなみに十三湊というのは今もあります。海流の関係で浅くなってしまい、シジミの産地になっていますが、もともとは大輪田泊よりも古い港だったと考えてもいい。十三湊を本拠地にしていた安東氏は、馬を育てていた馬飼いの一族でした。水軍ではなかったが、水軍のような立場にはあった。その資料を探っていくと、日本の交易は鴻臚館だけで行われたわけではなかったという事実がポツポツと出ています。そこから想像して、十三湊と梁山泊が黄金と昆布で交易をしていた、というように書きました。
 実は昆布もこだわっているんですよ。当時の中国の病気の歴史を調べてみると、長江の内陸で甲状腺の病気が流行っていた。甲状腺を病んでしまうと非常に体が疲れるんだそうです。無気力になって立ち上がれない。それが昆布を少し舐めると治ってしまうらしい。ヨウ素が不足して起こる病気らしいですが、文献を見ると相当深刻だったようです。日本からの昆布がその薬として役に立ったんですね。

悪と正義
Q 青蓮寺という悪の一派が非常に魅力的です。悪役が活躍する物語は、読んでいてとても面白いんですが、悪についてどのようにお考えですか?

A 私の小説の中で、悪というのはいないつもりなんですよ。たとえば今の政治をみてみると、各政党や政治的立場があり、みんな正義を標榜するんです。つまり、政治的な正義や社会的な正義というのは、相対的なものである。そこに、人間に対するきちんとした考えがあれば、すべて正義になりうる。だから悪という概念はないんですよ。青蓮寺は青蓮寺なりに考えがあって、悪辣な方法を使うけれども、戦で一万人死ぬところを青蓮寺が百人殺せば済む部分もある。死ぬ人間の数から考えたら非常に少ない。
 どれが正義でどれが悪かということを、区別して書いてはおりません。青蓮寺に生きる人間は自分の人生を懸けているわけだから、そこで全力を尽くして生きている姿を描くことができたら、魅力が出るだろうと考えています。

父と子
Q 『水滸伝』シリーズで楊志と楊令や、童貫と岳飛のように、血のつながらない父子の関係が描かれています。『楊令伝』の羅辰と公孫勝について、羅辰は公孫勝を父親のように思っていました。公孫勝は羅辰を息子だと思っていたのでしょうか?

A 公孫勝が一番忌み嫌っていたのは、肉親の感情なんです。公孫勝は、過去、廃坑に追い込まれたときに、両親の肉を食って生き延びた。それがある故に、肉親に対しては本質的に目を背けてしまう部分がある。友は信じられても、父にはなりきれない。息子にもしきれないという感情があったのだと思います。羅辰には父を求める感情がもちろんあった。しかし、公孫勝には父を求める感情も、息子を求める感情もないと考えて描きました。

人間の弱さ
Q 林冲や史進のような、強い人間の弱い部分が細かく描写されていて、感銘を受けました。どのような思いで書かれているのでしょうか?

A 最初、史進は芯まで鉄の通った重い棒を振り回していました。老いていく史進は鉄棒の芯に穴を開けて軽くしていく。呼延灼も同じで双鞭を徐々に軽くする。私も憑かれたように一晩に五十枚程書いていたことがあります。今は、同じエネルギーを使って三十枚ほどしか書けない。やがて二十枚になるかもしれない。それが齢をとることだろうなと思います。自分が老いていくと思う時期に『水滸伝』『楊令伝』を書いていたから、小説の登場人物が老いていき、感じる痛みには本当にリアリティがありました。
 一方で若い人間の弱さは、心が折れることです。実は折れてないんだけど、そのままほったらかしにしてしまうと本当に折れてしまう。そういう弱さというのは誰もが持っているんですよ。林冲であろうが、史進であろうが、どんなに強い人間でも弱いものは弱いものとして必ず持っている。それをきちんと自分で作り上げた強さで覆っている。
 強さは鎧のようなものですから、誰もが触れれば傷つく生身がある。そんな風に強い人も弱い人も描いています。

心の子午山
Q 『水滸伝』では、王進のいる子午山が非常に印象的に描かれています。先生にとっての子午山のような場所はどこでしょうか?

A まさに子午山が欲しかったんです。農耕をし、書見をし、剣の修業をする。そういう場所が本当に欲しいと思い、あの場所が出てきたんです。山の中で、自分を見つめてみたいという願望が明確にあった。だから、子午山はどこですかと聞かれれば、あの子午山が私の子午山です。小説というのは、時に作家の願望の産物でもあるんですよ。
 一回取材で子午山嶺に行ってきました。山岳地帯で、三月なのに雪が降っている。一番大きな町の宿に泊まったら毛布も一枚しかなくて、寒くて眠ってもいられない。そこからさらに行くと子午山がある。行ってみるとイメージどおりでしたね。

楊令の死
Q 楊令が死んでしまうのは受け入れているつもりなんですが、やっぱり辛いです。彼が死なないという選択肢はあったのですか? また、なぜそのような結論に行きついたのでしょうか?

A 楊令をあのように死なせてしまったということについて、その後にいろいろなことを考えました。私にとって、楊令というのは『楊令伝』という物語の中でのある観念だった。つまり、勝利と建設の観念を具現化した人物が楊令だったんですよ。病で死ぬ、戦で流れ矢に当たって死ぬ、岳飛と正面衝突して斬られる、というような選択肢もいろいろと考えていたんです。しかし、観念の消滅というものがどこから来るのかというと、理不尽の消滅なんですね。楊令の試みは結局、幻だった。それをどう表現しようかと考えると、理不尽によってつぶれるという風に表現するしかないんです。そうしたことを考え、あのような死に行きついた。楊令は自分の人生ではなく、宋との戦いでもなく、宋を倒した後に何をやるかを担わなければならなかったわけです。楊令のその後にあった道というのは、戦いに勝利し続け、帝になる道です。それは私の物語にはありえなかった。
 楊令が自分の死の痕跡をどこに残しているかといえば、岳飛の腕と兀朮の脚です。そこに楊令は生きて、やがて死んだという印を残している。この二人が今後どのように歩み、戦っていくかを描くことで、楊令が夢見、目指したものはなんだったのかということが浮かび上がるといいなと思います。『岳飛伝』をすべて読んでいただいた後に、楊令とはいったい何だったのか、わかるようにするつもりです。