僕が通ってた塾の、5歳上の講師を好きになってしまい、相手に彼氏がいることを知りながら近づきました。相手も彼氏がいることを隠して僕と関わり、結果、周りに知られてしまい、相手を傷付けてしまいました。でも、会わなくなってからも忘れられず、偶然会う機会があったら、謝罪と、まだ忘れられない気持ちを込めてブレスレッドを渡したいと思い、常に持ち歩いていました。もしも願いがかなうなら、もう一度会って、自分にとって唯一の人であったことを分かってもらい、本心で向き合いたいと思います。
(タロティーさん・男性)
高校に入って不整脈が見つかり、激しい運動が禁止になりました。
どちらかというと運動神経が鈍いほうでしたが、長距離だけは得意で高校のマラソン大会も楽しみにしていたのに、走ることができなくて残念で。
その後も、芸能人がホノルルマラソンを走っているのを見ると、羨ましくてたまりません。 どうせ人生の最後だったら、思いっきり走ってみたいです。
(いろ葉さん・女性)
先日病気が発症していると聞かされました。治す方法のない病気です。私はこれから視力がどんどん低下していき、将来、文字が読めなくなります。進路も決まり、将来つきたい職業も決まりかけていた最中の出来事で、これからどうすればいいのか分からない状態です。私は本が好きです。でも将来読めなくなると、心残りになりそうです。だから死ぬ前に、一つでも心残りな事を救ってもらいたいと思って、この願い事にしました。
(晶さん・女性)
クラスの副委員長をしていた中2の夏、あこがれていた東京へ、転校するのは、半分嬉しくもあったのです。実際は、転校先の校内が荒れていて、授業も誰も聞いていず、手を挙げるのは私だけ、そのうち、机に金魚やたにしが毎日、入れられるようになりました。2年後に札幌に、遊びに帰ったら、一人の友人に連絡をとると翌日、校庭にみんなが集まってくれて、輪になってバレーをしました。みんなが暖かかった。看護師として働きながら、辛いことがあると、みんなを思い出します。そして元気がでてきます。また、みんなに会いたい。
(匿名希望・女性)
ずっと好きだった人へ宛てた、ずっとずっと出せなかった、たった1通だけのラブレターを渡してほしい。 病気になる前から好きだった人へ病気になってから書いた手紙。それを渡せないまま、少しずつ自分の死が近づいていた。病気のあたしに対しても、変わらず優しい人。本当に好きだから想いを伝えたかったし、そのために手紙も書いたけど死を目前にしてるあたしには、伝えられる勇気も希望もなく、渡せないまま。だから最初で最後のたった1通のラブレターをあたしが死んだ後に渡し、「幸せになってください」と伝えてほしい。それが最後の願い。
(みみさん・女性)
私は大病を患い、現在は年金生活の両親に家計も日常生活も頼りきっている状態です。勤めていた頃毎月渡していた生活費は手付かずのまま、私名義の口座に積立ててありました。どんなに説得しても、両親はそのお金を使おうとしません。私は両親よりも先に逝く事になりそうですが、私が逝った後も両親は使わないでしょう。ずっと贅沢とは無縁だった両親に思う様に孝行できない私は、遠慮せずぜひそのお金を使って欲しいのです。何でも食べれる様に歯を治したり、夫婦でゆっくり旅行したり…。罪悪感を持つ事なく自分達の為に使って欲しい。親とはそんな生き物だけど、私の為にそうして欲しい。自己満足なのは重々承知です。これが私の最期の願いです。
(ちいこさん・女性)
僕は小さいころに父から将棋を教わって以来、僕の人生は将棋なしには語れないものになった。暇さえあれば将棋をさしていた。
僕は、「歩」という駒が大好きだった。たぶん「歩」が将棋にいなかったら将棋に興味をもつことはなかっただろう。「歩」は一回に一マスだけ前に進むだけである。当然、縦横無尽に動き回る飛車とかのほうが強い。しかし、不思議なことに会心の一手、感動の一手として今でも覚えているのは決まって「歩」なのである。
そんな「歩」とともに歩んできた僕の人生、最期は将棋をさしていたい。
(匿名希望・男性)
願い事が叶うなら『愛娘の結婚』だ。ありきたりで平凡かもしれないが、愛娘は普通と少し違った生活を送っている。生後4ヶ月の時に難治性の病気が発症し、同時に薬を飲んでいる。病気の予後は悪く、2歳になるが歩くことができない。知的にも遅れが出ている。そして1番の理由は、飲んでいる薬が子供を産めないとされている事。そんな愛娘が大好きな人と恋愛する。愛娘の全てを受け入れ、大切に思ってくれる人と一緒になる。真っ白なふわふわしたウエディングドレスを着て、父とバージンロードを歩く。そして自分の足で父から大切な人の元へ歩いていく。その愛娘の笑顔は、今と変わらず。でも、大人になってとても綺麗だろう。
(Yuuさん・女性)
6年前、一緒に暮らしていた人が自ら逝ってしまいました。
1週間前、一緒に旅行に出かけた直後の出来事でした。
遺書のようなものは何一つ遺されておらず、キッチンのテーブルの上には、飲みかけのワインと、その日の昼食に食べようとしていたお弁当がそのままの状態で置かれたままでした。
その時、彼が何を思い、どういう気持ちで旅立って逝ってしまったのか・・・。最後の願いをかなえてくれるのなら、このモヤモヤを晴れさせて欲しい。
(ちえぞうさん・女性)
私の亡き祖父は、戦時中に南方にいました。
17年間日本へ帰れず、その間の日々を便箋に書き込んでいました。
戦時中、戦場で兵隊さんたちが一番恋しがったのは、満開の桜の花だったそうです。戦争が始まった当初は、桜の花の枝が、何本も戦地に送られてきたそうです。
戦争が悪化するともう二度と送られてくることはなく、兵隊さん達は桜の花の話をよくしたそうです。
もし、願いがかなうなら、無念の死の前に本物の桜の花を見せてあげたいと思います。
(わかぼんさん・女性)
数年前、私は夏に短期留学で海外に行きました。
楽しく寮生活を送っていたある日の事。寮の階段でスペイン人の集団とすれ違った時、私の目は中央にいた一人の男の子に釘づけになりました。今までにそんな気持ちになったことはありませんでした。一瞬で、一目惚れ。友達になってからも、一緒に過ごす一日一日が宝物でした。言葉なんて通じなくても。帰る前夜、告白しようと決めていたのにできませんでした。
今、連絡がとれません。でも、それからずっと好きです。あれから違う国に行って誰と会っても、彼以上はいません。
会いたい。会って好きと伝えたい。ただ、会いたいです。
(みかんさん・女性)
1度でいいからやってみたかったこと。
ドラえもんにでてきたような巨大プリンに飛び込むこと!!
それこそギネスブックにのるぐらいの大きさのもの!! まずは小さなスプーンで、その次は大きなスプーンで大皿にとりわけて家族や友人達に。まだまだ大きなプリンに、素っぱだかでダイブ! 他の人の迷惑考えず一人占め。
最後にカラメルの頂上から「はい!チーズ」!!
(ファインでいさん・男性)
夕陽の色が心にしみなくなったら、私は人生を閉じようと思っている。
若いころ私は船乗りになる夢を抱いていた。世界の七つの海を渡って、夕陽の絶景を見たかったのだ。
その夢の始まりは、小学校の入学のときに父が買ってくれた地球儀だった。サッカーボールぐらいの大きさの革張りの高級なもので、少年の私はその地球儀を毎日毎晩くるくる回しながら、世界の旅をしていたのだ。
その後、地球儀は順繰りに親戚中を回ったらしいが、もう消息は定かではない。
もし私が寝たきりになったら、生きがいは夕陽がしみる心と、50年前のあの地球儀になるだろう。窓から見える夕焼けの雲を見ながら、最後に枕元の地球儀で世界の旅をしたい。
(匿名希望・男性)
むかし、外国船に乗っていた父が蝶好きの兄のために、標本入りのモルフォ蝶をおみやげに買ってきた。
幼い頃に見た、その蝶のあまりにも美しいコバルトブルーにひきこまれた記憶がある。
最後に願いが叶うなら、飛んでいるモルフォ蝶をひと目見てみたい。
(ちま子さん・女性)
結婚して8年。結婚前に7年付き合った旦那様。可愛い娘が二人いて私はとても幸せです。
彼は夫婦間で意見が合わずギクシャクしたり嫁姑問題で家庭内が殺伐とした時でも何時でも寝る時は腕枕をしてくれます。私が怒りのあまり背を向けて布団に入っても、自分も腹を立てても腕枕は欠かさないのです。
普段素直にならないけど感謝してます。人生の最期は彼の腕枕 で彼の匂いに包まれて過ごしたいです。
(春子さん・女性)
もし、自分の命が残りわずかだと告げられたとしたら、タイムカプセルのことを考えると思う。
現在20歳の私は、来年の1月に成人式を迎える。そのときに小学校の中庭に埋めたタイムカプセルを掘り出すことになっているのだが、当時の自分が何を入れたのかほとんど覚えていない。
成人式の日まで生きられないのならば、12歳の自分が20歳の自分に何を残したかったのかを知ることができなくなってしまう。だから私がこの世に存在しているうちにタイムカプセルを開けてしまいたい。他の人には知られないように。そして私の周りの人への想いを書き残して入れておくのだ。
私が一足先に昔の自分に逢いに行ったことを、友人たちはきっと許してくれるだろう。
(熊猫さん・女性)
母はリウマチで足を引きずって歩いていました。高校2年の運動会に弁当を持ってきてくれました。「お弁当よ~」と私の姿を見つけて、声をかけてきたのに…私は恥ずかしさに負けて、母の声を無視して逃げてしまいました。
あの時の悲しげな母の顔、今でも覚えています。母はもう他界しましたが、生きてるうちに一度も謝ることができませんでした。
私の娘は現在高校2年生。反発されるたびに、母の気持ちが痛いほど判ります。「お母さんごめんなさい」あの世に行ったら、一 番に言いたいです。
(はなさん・女性)
高校の頃の友達でよく成績を競い合ったり、困ったときは助け合ったりするやつがいました。
3年になるとクラスが変わり、急に学校で会わなくなり、メールも返ってこなくなりました。嫌われたのかと思っていたら、原因不明の病気で視力が一気に低下して、メガネでも矯正できない状態であるとうわさで聞きました。なんで話してくれなかったのかと本人に聞いたら、心配をかけたくなかったと言われました。
私は今医学科の1年生です。将来は眼科医になりたいと考えています。これからきっと医学が進歩して原因が分かるかもしれません。でも、もし分からなかったとき、そのときは友達を含め、同じ状態の人たちの目を治してあげたいです。
(piroshiさん・男性)
8年ほど前、当時付き合っていた大学生の彼が、東京から九州宮崎の実家までJRの青春18切符を使って、普通電車のみで帰省した話を聞いて羨ましかった。最初は十数両編成の列車が最後は単線の一両編成の列車になる。途中、乗り降りする人の言葉がちょっとずつ変わっていく。くだらないことで別れちゃった彼だけど、彼のことを思い出しながら、彼がしたみたいな旅をしてみたい。
(さのすけさん・女性)
休みの日にはテレビの前から動かず、CMになるとチャンネルを変えている父。旅行に行っても、出発から早く早くお土産を買ったり、アウトレットでショッピングをしたりしているときも言葉には出さないが「早くして」オーラが出てる父。いきなり不機嫌になったりする父。母の実家での行事などでは妙に目立とうとする父。そんな父が好きじゃない。だからいつもそっけなく、冷たく接してしまう。そして後で後悔したり。街で「パパと娘」が仲良く洋服を選んでいたり、ブランドのショップにいたりするのを見ると心底うらやましいと感じる。夢がかなうなら、娘に甘いパパと腕を組んでゆっくりお買い物がしたい。
(マドレーヌさん・女性)
私の祖父は私が10歳の時に亡くなった。亡くなる前に病院で握手をしてくれと頼まれたのだが、幼い私は拒否してしまったのだ。なぜだったのだろう。今考えるとよくわからないのだが、普段接することのない存在である老人に触れるのが怖かったからではないだろうか。余命があと何日かしかない祖父にとって孫に握手を拒否されるなんて思ってもみなかったことだろう。もし願いが叶うのならば、祖父が亡くなる前に祖父と思いっきり握手をして、一緒にいれなかった分、せめて祖父の最期だけでも見届けてあげたい。だから10年前に戻りたい。
(最低な孫さん・女性)
高校卒業まで何度も母のお弁当を食べました。保育園の頃は可愛く工夫され、小学校では友達と交換したりと給食とは違う楽しみでした。長い間には文句を言ったり買うから要らないと言ったり残したり。母は専業主婦ではありません。それでもいつも、高校の時は毎日仕事前に朝早くから朝食と私のお弁当を作ってくれていました。最近母から、「忙しかったけど、一度も作るのを面倒だと思ったことは無い」と聞きました。特別料理上手ではないし、全部が全部手作りではなかったけれど嬉しかったです。大学生となりお弁当離れをしてしまったけれど、もし私が人生の最期を知り、そのときそれを望んだら母は最後のお弁当に一体何を詰めてくれるのでしょう。
(灯良里さん・女性)
人の視線が怖かった。人が笑っていると自分をあざ笑っているように思えて怯えていた。人の話すべてが嘘に思えて仕方なかった。ある日、いつものようにひとりで街を歩いていると、突然雨が降ってきて雨宿りをする羽目になった。いらいらしていると、知らない女の子が私の反応を探るように「傘、入りませんか?」と小さな声で聞いてきた。予想外の展開に「はい」と小さくつぶやくことしかできなかった。でも、彼女の優しさは確実に私の心に届いた。きっと彼女も私がどんな反応をするか不安だったと思う。しかし、彼女は優しさを貫いた。私は彼女のように生きたいと前向きに思った。再び彼女に会えるのならば笑顔でありがとうと言いたい。
(優華さん・女性)
