本多孝好『MOMENT』

最後に彼は「医療とは」と、十六世紀のフランスの外科医の言葉を引いた。「時に癒し、しばしば和らげ、常に慰める」
  それは正しいんだと思います、という呟きに、一人の外科医師として彼が見てきた世界を垣間見たような気がした。
  最後に話を聞いたのは、緩和ケア病棟の看護師長をしている看護師さんだった。ずっと年上の豪快な肝っ玉母さん、という予想を裏切り、現れたのは僕より年下の、穏やかな雰囲気をまとった女性だった。
「一番気をつけているのは、エネルギーを合わせることです」
  ここでは患者さんが主役だから、患者さんのエネルギーを超えないよう自分のエネルギーを抑制するのだという。
「患者さんにはもっとゆっくりと静かに喋りますよ」というその言葉がすでに、僕の日常に溢れている言葉よりも、ずっと静かで、はるかにゆったりとしている。
  医療行為ならば、A先生がやってもB先生がやっても変わらない部分があるけれど、看護はそうではなく、自分自身を通してケアをするものだ、と彼女は言った。なるほどと思う一方で、それはとても疲弊する仕事だと思う。特にこの病棟では。
「だから私たち自身もカウンセリングを受けたりしながらやってます」
  患者さんたちの死を通して教えられることは多いという。人の死生観はそれぞれで、だからスタッフも迷っていいんじゃないかと思っていると彼女は言った。もしも自分が、と考えれば、僕も、迷いのない人に知った風な顔で側にいて欲しくはないだろう。僕自身の中に生じる混乱にきちんと付き合って欲しいと望むと思う。けれどそれは、やはりとても疲弊する仕事だろう。どこかで迷いを割り切ってしまったほうがずっと楽なはずだ。
  病棟を案内してくれたあと、それじゃ、と仕事に戻っていく彼女に、僕は頭を下げることしかできなかった。
  今回のインタビューで、奇しくも病院長と看護師長の二人が同じ言葉を口にした。それは「人は生きてきたようにしか死なない」という言葉だった。看護大学生はそれを「それなりに生きていれば、死ぬことはそんなに怖いことじゃないのかな」という言葉で表した。思えばこのインタビューで、僕がもっとも強く感じたのはその感覚だ。ここでは、死は生のピリオドではなく、そのエピローグとして存在している。突発的な死を除けば、それはたぶん当然のことなのだろう。けれど、今の社会の中では、死は単なるピリオドとして受け取られることのほうが多いと思う。
  インタビューを終え、外の日差しの中で一息ついたとき、彼らが語ってくれた言葉は、そのすべてが「もっとここを見てくれ」というメッセージだったのだろうという思いにとらわれた。それは、こういう医療のあり方を見てくれ、ということでもあるし、こういう角度からも死というものを見てくれ、ということでもあるし、死からやたらと目をそらすなという意味でもあるのかもしれない。個人が、社会が、遠慮しながらでもいい、そこを見つめようとしたとき、その個人や社会の中に生まれる豊かさが、きっとある。そんなことを考えた。
(了)

*『青春と読書』収録(集英社刊)

 前のページ12|3