小説を書いているとき、僕はその物語のテーマを把握しているわけではない。言い換えれば、僕にとって、テーマは物語に付随して生まれるものであって、テーマが物語を生み出すわけではない。この『MOMENT』という小説でも、それは同様だった。だから、あとになって考えてみればということになるけれど、僕はこの小説で死ぬための手がかりを書きたかったのだろうと思う。
何を頼りに生きていくか、と問われれば、人にはそれぞれに答え方があるだろう。仕事、あるいはそこから生まれる充実感や満足感。家族、あるいはそこにある愛情、その関係性そのもの。けれど、何を頼りに死んでいくか、と問われたとき、答えを返せる人がどれだけいるだろう? 少なくとも僕は何も返せない。
冷やかす意味ではなく、自分が何かの宗教を信奉できたらどれだけいいだろうと思う。生も死も含めた一連の圧倒的なフィクションを、たとえフィクションとしてでも信奉することができたら、それはとても豊かなことなのだろうなと思う。けれど、残念ながら僕は信仰心を持っていない。これから先、持つ可能性も低いと思う。だから僕は、自分の死というものを自分が生きているうちにどうにかこうにか自分の中で構築していくしかない。
『MOMENT』というのは、たぶん、そういう物語である。
今回、この文章を書くにあたって、担当編集者から、緩和ケアをしている病院を取材するように言われた。これには、ひどく戸惑った。一つにはノンフィクション作家ではない僕が取材を元に何かを書くことにどんな意味があるのかという意味で。さらには、物語がすでに成立している以上、今更取材をしてそれが何になるのかという意味で。ただ、自分の中で素直に考えてみれば、それは戸惑いの本当の理由ではなく、要するに僕はビビっていたのだ。人が死にいく場面の中で日々を過ごしている人に会うことに。自分のような部外者がそこにのこのこと顔を出すことに。
それは極めてまっとうな遠慮だと思う。ただ、そのまっとうな遠慮が、今の社会の中で、死というものをひどく見えにくいものにしてしまっているのも、また事実だろう。死というものの前に人は遠慮する。自分自身の前にそれがやってくるその日まで。そう考えたとき、僕は一時のインタビュアーになるべく、ボイスレコーダーを買いに出かけた。
今回、僕は悪性腫瘍の終末期にある患者さんを受け入れている緩和ケア病棟を持つ病院のスタッフに話を聞いた。ボランティアとしてやってきている看護大学生、病院長でもある外科医師、そして緩和ケア病棟の看護師長の三人である。
年齢も立場も違う三人に共通することが二つあった。一つは、三人ともが、インタビューに不慣れな僕の質問にも、その意図を汲み取り、わかりやすく答えを返してくれたということ。言語的なコミュニケーション能力に長けているのだ。それは三人のいる現場において、とても大事なことなのだろう。もう一つは、経験の差こそあれ、三人とも終末期の患者に対する今の医療のあり方に疑問を感じて、緩和ケアにかかわりを持ったということ。多くの人が通常の病院で死を迎えることを考えれば、緩和ケア病棟の成立は、専門家の専門的見地に根ざしたものではなく、僕ら一般の人間が持つ、現代における死というものに対する違和感と同じところに根ざしているのかもしれない。
